Daily Archives: 2014年9月6日

この記事は、2014年8月24日に更新の、24時間テレビ「愛は地球を救う」の第1回~第36回までの放送内容を駆け足で振り返ってみましたと、2014年8月25日に更新の、24時間テレビ「愛は地球を救う」をキーワードで振り返ってみました

 

2014年8月29日に更新の、初期の24時間テレビを強くイメージさせる名曲を2曲ご紹介いたします と、2014年8月31日に更新の、すでに放送がスタート! 24時間テレビ37「愛は地球を救う」 続きであり、今年の24時間テレビにおける放送終了後の内容となります。

 

さて、今年の24時間テレビ37「愛は地球を救う」(以下、24時間テレビ37)も、先月の8月31日に終了しました。

 

第1回~第36回までの放送内容を駆け足で振り返った記事のようにまとめてみると、第37回は次のようになっていました(メイン会場は日本武道館だったことで省略しています)。

 

第37回 2014年8月30日~31日

総合司会:羽鳥慎一・水ト(みうら)麻美

メインパーソナリティー:関ジャニ∞

チャリティパーソナリティー:杏(あん)

チャリティランナー:城島茂(TOKIO)

 

今年の24時間テレビ37は、オープニングから、なんと、本来グランドフィナーレで披露されるはずの「サライ」が、メインパーソナリティー関ジャニ∞のメンバー全員で合唱していたので、ちょっとビックリしました!

 

まあでも、「サライ」はもともと24時間テレビのテーマ曲なので、オープニングで歌おうがエンディングで歌おうがどちらでもいいんですけどね。

 

ただ、毎年そのように行なわれていることから、私としては、やはり「サライ」はグランドフィナーレで歌うにふさわしい曲ではないかと思っています。

 

●メイン会場の日本武道館入り口で、募金を持って駆け付ける芸能人を迎えるという大役を務めたのは、あの日本エレキテル連合!

 

また、メイン会場であった日本武道館入り口で、募金を持って駆け付ける芸能人を迎えるという大役を務めたのは、あのお笑いコンビ日本エレキテル連合の2人。

 

でも、それだげは心もとなかったのか。

 

お笑いコンビのサバンナの高橋茂雄さんも、日本エレキテル連合とともに、武道館入り口で芸能人を迎える進行役を務めていたのでした。

 

それにしても、「ダメよ~、ダメダメ」のセリフでおなじみ、「未亡人朱美ちゃん3号」のネタのように、ボケ担当の中野聡子さん扮する小平市の細貝さんと、ツッコミ担当の橋本小雪さん扮する朱美ちゃん3号ともに、日本エレキテル連合の2人が、あの年老いたおじさんの変装と、白塗りの状態のままで登場していたのにはビックリしたのでした!

 

24時間テレビ37の日本エレキテル連合といえば、大御所2人を迎えたときのリアクションが印象的でした。

 

1人目となる加山雄三さんは、さすがは大御所といった感じで、笑顔で去っていきましたね。

 

それに対し、2人目の小林旭さんは、なんとも言えない威圧感で、まずサバンナの高橋さん、そして日本エレキテル連合の2人をにらみつけていたので、私も見ていてかなり怖かったです…。

 

この小林さんの態度については、ネットでもちょっとした物議をかもしたことがあったのでした。

 

●24時間テレビ37の放送内容を、私なりに駆け足で振り返ってみました

 

前置きが長くなりましたが、ここからは、私なりに振り返ってみた24時間テレビの放送内容についての記事をお送りしたいと思います。

 

27時間テレビのときと同じく、24時間テレビも全部ではなく、途中早朝の6時~13時までは睡眠時間をとるために録画し、数日前にやっと全部見終わりました。

 

そこで、今年の24時間テレビ37の放送内容を私なりに振り返ってみたいと思います。

 

あらかじめお断りしておきますが、24時間テレビについては、27時間テレビに比べると、そんなに見るのが楽しみな番組ではありませんでした。

 

それでも、チャリティマラソンを含め、どんなことが行なわれたのかが気になる番組であったりするんですよね。

 

なお、タイトルは24時間テレビのホームページに掲載されていた放送内容を参考にしていますので、予告記事で紹介したタイトルとは若干違っている場合もあります。

 

まずは、24時間テレビ37の3つの目玉企画と紹介されていた3つの企画から振り返ってみることにしましょう。

 

テレビ90歳の熱き影絵作家 魂をこめたキセキの巨大作品

今年でなんと90歳を迎えたという、影絵作家の藤城清治さん。

 

8月24日に放送された「行列ができる法律相談所」の番組で、藤城さんは、東日本大震災発生後から被災地の絵を描き続けていると紹介されていました。

 

そして、24時間テレビ37の武道館では、藤城さんの特設アトリエを再現。

 

「行列」の放送時に数日前から取り組んでいることが発表され、24時間“奇跡の影絵アート”の作品に熱き魂を注ぎ込みました。

 

そしてグランドフィナーレでは、縦3m横6mの巨大影絵が、バックライトとともに鮮やかに浮かび上がったのでした!

 

テレビふなっしーと離島の子供2人 小さな島の大運動会 

日本海に浮かぶ、山形県の離島である「飛島(とびしま)」は、人口約250人で、島民の90%が漁業で生計を立てています。

 

飛島には、島で唯一の学校である「飛島小・中学校」があります。

 

この学校で授業を受けているのは、中学2年生の澁谷真木(しぶやまさき)ちゃんと、弟の新(あらた)くん。

 

そう、この学校の全校生徒は2人しかいないのです。

 

しかも、飛島全体においても、子供は真木ちゃんと新くんの2人だけであるということでした。

 

そのため、島の人たちは皆知り合いで、島民も2人の子供たちを宝物としてかわいがっていたのでした。

 

●5年ぶりに飛島で運動会が開催 ふなっしーも運動会を盛り上げるために島に上陸!

 

飛島では、かつて毎年島全体による運動会が行なわれていました。

 

しかし、島民の高齢化とともに参加者が激減し、5年前行なわれた最後の運動会の参加人数は、たったの30人だったそうです。

 

実は、真木ちゃんが5年ぶりに島で運動会をしたかったのには理由がありました。

 

それは、6年ほど前に、父親の仕事の都合で飛島に越してきた際、寂しくて、何度も本土に帰りたいと毎日のように泣いていたという真木ちゃん。

 

そんな真木ちゃんの気持ちを変えたのが、5年前に行なわれた運動会だったのです。

 

真木ちゃんいわく、そのときの運動会がすごく楽しかったことや、島の人たちとよくしゃべるようになり、距離が縮まったことということでした。

 

だからこそ、自分でもう一度運動会をやりたいというのが真木ちゃんの願いだったのでした。

 

そんな真木ちゃんの願いを叶えるべく、はるばると飛島までやって来たのは、千葉県の非公認キャラクターでありながらも、大人気ゆるキャラでもあるふなっしー!

 

「ヒャッハー!」

 

と叫びながら、船に乗って飛島へと向かっていたふなっしーの姿は、それだけで日本全国のゆるキャラたちとははるかに違うタレント性のようなものを感じたのでした。

 

島に上陸したふなっしーは、真木ちゃんと新くんとの初対面として、学校の音楽室にある大きな段ボールの中に入り、そこから突然飛び出すというサプライズで登場!

 

その後、真木ちゃん手作りの運動会の案内チラシを手に、ふなっしーと真木ちゃんは、島民のみなさんに運動会の開催を知らせるべく、一緒にPR活動を行なったのでした。

 

●運動会当日には、ふなっしーのお友達も登場!

 

そして迎えた運動会当日。

 

参加人数は、5年ほど前は30人だったのが、飛島の島民と、島に帰省している方々を含めたことで112人となっていました!

 

さらには、運動会を盛り上げるべく、ふなっしーのお友達として、あのミスター24時間テレビの徳光和夫さんが実況を担当。

 

さらには、美容研究家のIKKOさん、プロレスラーの長州力さんも参加するといった、かなり豪華なメンバーの中で行なわれたのでした。

 

運動会の競技は、いかにも漁業が盛んな飛島らしいトロ箱(魚介類の輸送用に使う、発泡スチロール製の箱)を使ったレースや、綱引き、借り物競争などが行なわれることに。

 

最後の種目の紅白リレーでは、長州さん、IKKOさんやふなっしーもランナーとして参加していました。

 

アンカーは、真木ちゃんが紅組で、新くんが白組だった紅白リレーの結果、白組の勝利に。

 

総合結果でも、圧倒的な得点差で白組の勝利となっていたのでした。

 

●運動会の最後に、真木ちゃんによる感謝のメッセージ そして将来の夢

 

運動会の最後には、真木ちゃんが涙ぐみながら、島のみなさんや、ふなっしーへの感謝のメッセージを伝えていました。

 

映像で見たところ、今回島の運動会を行なうべく盛り上げてくれたふなっしーとは、海で一緒に遊んだり、一緒に給食を食べたり、バスケをしたりと、運動会以外の交流もあったみたいですね。

 

ところで、飛島には高校がないので、真木ちゃんは再来年には島を離れなければなりません。

 

それに、来年からは真木ちゃんも受験勉強に入ることから、島での運動会はこれが最後ということになるのです。

 

だからこそ、今年はどうしても島で運動会を行ないたかったんでしょうね。

 

あと、真木ちゃんの将来の夢は産婦人科医になって島に戻ってくること。

 

新くんは漁師になって島に残るということでした。

 

テレビ間寛平65歳が陸上十種競技マスターズ日本新記録に挑戦!

昨年に続き、間寛平さんが陸上でもっとも過酷と言われる10種競技に今年も挑戦しました。

 

私も今回、あらためて知ったマスターズ十種競技とは、

 

・100m走

・走り幅跳び

・砲丸投げ

・走り高跳び

・400m走

・100mハードル

・円盤投げ

・棒高跳び

・槍投げ

1500m走

 

の十種からなる競技なのだそうです。

 

いわば、寛平さんは2日間かけてこの十種競技に1人でチャレンジしたわけです。

 

結果については、本来ですと第1種目からお伝えしたかったのですが、こちらの都合により、第1種目~最終種目までを順番に伝えることができなくなりました(どこかのサイトやブログで十種競技の全記録を紹介しているといいんですが……)。

 

それでも、棒高跳びでは自己ベストを更新し、最終種目の1500m走では6分26秒36で、マスターズ十種記録を超えて記録達成したところは見ることができました。

 

最後の1500m走の記録は、ネットのユーザーさんもスゴイと大絶賛していましたし、私もスゴイと思いました。

 

けれども、1500m走にしても、十種競技の日本記録保持者の記録を更新しただけで、マスターズの日本記録ということではないみたいなんですね。

 

それに、十種競技は十種の種目の記録を得点換算し、その合計得点で決まるのであって、1種目だけよくても新記録にはならないのです。

 

そこのところが、日テレのアナウンサーの実況でもまぎらわしいなと感じたのでした。

 

テレビ「嵐にしやがれSP~嵐VS関ジャニ∞今年こそ生で完全決着!キセキのバラエティ力対決しやがれ~」

24時間テレビや「嵐にしやがれ」で過去3度の対決が行なわれ、嵐が1勝2分けで関ジャニ∞の勝利はまだない中で行なわれたこの企画は、

 

「顔面ラップ破り」

「三輪車パン食い競争」

「腕力バイキング」

「ぐるぐるバット」

「箱の中身はなんじゃろなぁ~」

「椅子取りゲーム」

 

の種目で対決しました。

 

「箱の中身はなんじゃろなぁ~」の時点で、嵐が5勝で、関ジャニ∞が2勝だったことから、本来なら嵐の勝利だったのですが、最終種目の「椅子取りゲーム」で、勝利チームに4ポイントがもらえるという特別ルールが設けられることに。

 

しかし、「椅子取りゲーム」で松本潤さんが勝利したことにより、結局は嵐チームの勝利となったのでした。

 

テレビ「キセキは本当にありまぁぁぁぁぁぁぁす! 信じるものだけ朝までしゃべくり007」

毎年5時間の生放送で行なわれている、24時間テレビではもうすっかりおなじみの深夜企画「朝までしゃべくり007」。

 

今年も、「キセキは本当にありまぁぁぁぁぁぁぁす! 信じるものだけ朝までしゃべくり007」のタイトルで、

 

・芸能人が芸能人に大質問大会

・美しきキセキの髪型選手権

・スポーツ世界記録工場(ターゲットアーチェリー・トランポリンダンク)

・村上信五 夜ふかしの旅

・坂上忍・徳井義美・大渕愛子の会いたい人007

・キセキは起きるのか!? 真夜中のドッキリ検証007

・夜明けのキセキ ディープな1人ものまね選手権

 

の企画が行なわれました。

 

このうち、ネット上でも大いに盛り上がったのが「坂本忍の会いたい007」。

 

事の発端は、今年4月に行なわれた「上方漫才大賞」で、見事笑い飯が上方漫才大賞を受賞し、授賞式でのコメントで、哲夫さんが坂上忍さんをバッシングするような発言があったことでした。

 

そして、坂上忍の会いたい007の企画にも、笑い飯の哲夫さんが登場。

 

一時は、トーク上でのバトルになりそうな雰囲気だったのですが、意外にも、坂上さんは笑い飯のファンであったことを公言。

 

すると哲夫さんは、予想もしなかったことを坂上さんの口から聞いたためか、しどろもどろになってしまい、とりあえず坂上さんに謝罪し、握手を交わしたことでめでたしとなったのでした。

 

「朝までしゃべくり007」の後は、

 

「日本列島どんぶり天気予報」

日本各地の天気のうち、北海道、青森県、兵庫県、大分県、鳥取県、東京都のご当地どんぶりを紹介し、彦摩呂さん、ギャル曽根さん、杏さん、錦野旦さん、安田章大さん(関ジャニ∞)らが試食しながら天気を伝える。

 

「日本列島キセキリレー」

かつての朝の情報番組「ズームイン朝!」のようなリレー中継で、全国からキセキの絶景やキセキの技を生中継で紹介する。

 

などの企画が行なわれました。

 

テレビ義足の少女が挑む富士登山 安藤美姫・宮川大輔とともに

左足を持たずして生まれた、15歳の義足の少女である藤崎未夏さん。

 

幼いころは足のことで悩み、義足を隠して生活していたこともあったそうです。

 

そんな未夏さんが、自分に自信をつけたい、両親に強くなったことを見せたいと富士山登山を決意。

 

その想いをサポートしたのが、フィギュアスケーターの安藤美姫さんと、お笑い芸人の宮川大輔さんでした。

 

朝7時過ぎ、1合目から登山を開始しましたが、4合目から急斜面に入り、厳しい場面もあったとのこと。

 

それでも、8時間ほどかけて6合目の山小屋に到着し、その日は一泊したのでした。

 

翌朝早朝には、富士山の6合目からチャレンジの前に、富士山のきれいなご来光が生中継されました。

 

6合目からはジグザグの道が多く、未夏さんも膝に激痛を抱えた中で登った結果、15:40ごろ、ついに富士山登頂に成功!

 

頂上では、未夏さんが家族に感謝の手紙を読み、チャレンジは無事に終了したのでした。

 

テレビパーキンソン病と闘う、歌手の樋口了一が、関ジャニ∞の錦戸亮さんと6年ぶりにギターの弾き語りに挑戦

2007年の日本レコード大賞優勝賞を受賞した曲に、認知症になった親の、子への想いを歌った「手紙~親愛なる子供たちへ(以下「手紙」)」 があります。

 

下にご紹介のリンクのように、「手紙」の曲はCDとしても発売されています。

 

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この「手紙」を歌っているのは、シンガソングライターの樋口了一さんという方です。

 

樋口さんというと、HTB北海道テレビの人気深夜番組だった「水曜どうでしょう」のテーマソング。

 

あるいは、全国放送でも「水曜どうでしょうclassic」「水曜どうでしょうリターンズ」として放送されている中、「どうでしょうClassic」のエンディングテーマとして使用されている、樋口さんが歌う「1/6の夢旅人2002」が流れていて、私自身も聴いて、好きな曲でもあったのでした。

 

★チョコっと一言!

「1/6の夢旅人2002」が初披露されたのは、どうでしょうの海外企画だった「原付ベトナム縦断1800km」だったそうです。

 

また、数年前には私の地元で行なわれた夏のイベントにも樋口さんがゲスト出演され、「手紙」の曲を中心としたライブが行なわれたこともありました。

 

それだけに、まさか樋口さんがパーキンソン病という難病で闘っているとは、24時間テレビ37の予告を見るまで全然知りませんでした。

 

●樋口了一を襲ったパーキンソン病とは?

 

パーキンソン病とは、脳からの指令がうまく伝わらず、筋肉が硬直、動作の遅れが生じる難病でもあります。

 

もっとも重い症状は手足の震えというこの病気は、俳優のマイケル・J・フォックスや、元プロボクサーのモハメド・アリも同じ症状で悩まされているということです。

 

樋口さんは、2007年に右半身に違和感を感じ、2009年にパーキンソン病と診断されたということでした。

 

そのため、ふだんの樋口さんは右利きなのですが、右手が思うように動かないために左手を使っています。

 

歩くときも、右足を引きずるようにしてしか動かせないとのこと。

 

進行すると、最悪寝たきりになるかもしれないパーキンソン病は、いまのところ完治する治療法は見つかっていないのだそうです。

 

●関ジャニ∞の錦戸亮が樋口了一の自宅を訪問

 

現在、熊本県熊本市に住んでいる樋口さんの自宅を訪れたのは、メインパーソナリティーである関ジャニ∞の錦戸亮さん。

 

お互いに初対面ではあったものの、実は、関ジャニ∞のファーストアルバム「F・T・O」で、アルバムのタイトル曲である、1曲目の「F・T・O」と、5曲目の「Carnival」という曲は樋口さんが作詞・作曲した曲であったことがわかったのでした。

 

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自宅でのインタビューでは、いい薬が見つかったので、それを飲んでいる間は日常生活に問題はないとおっしゃっていた樋口さん。

 

しかし、薬の効果が切れると、何かしたいと思っても、右半身が思うように動かないといった症状が出てくるということでした。

 

ゆえに、以前のようにギターを弾きながら歌う弾き語りのように、同時に2つのことがやれなくなってくる感じなのだそうです。

 

「手紙」の曲がヒットしたころに出演した、日テレの音楽番組「誰も知らない泣ける歌」の番組のときも、ギターの演奏は他のミュージシャンに任せ、樋口さんは椅子に座った状態で、硬直する左手を抑えながら歌っていたと語っていました。

 

あぁー、私の地元のライブでも、ギターの弾き語りで歌っていなかったのはパーキンソン病の症状によるものだったんですね。

 

それでも、ボーカリストとして歌うことはてきるので、「自分には歌がある!」と思っていた樋口さん。

 

しかし、その歌さえも、パーキンソン病の症状で声が出なくなったこともあり、さすがにそのときはこたえたそうです。

 

かつては美しい高音が持ち味だった樋口さんの歌声も、全身の筋肉が固まるため高い声が出づらくなってしまったのでした。

 

●樋口了一を救った亡き父

 

そんな絶望感に打ちひしがれている樋口さんを救ったのが、疎遠になっていた父親の誠一さん(享年84歳)。

 

ミュージシャンになることに猛反対していた誠一さんは、左半身が付随で、しかも認知症も進んでいました。

 

亡き父親について、樋口さんは次のように語っています。

 

「僕が熊本に帰ると、『お前は何しに来た!』と怒鳴られたりとかね。

 でも、動かせない体でイライラしながらもね、一生懸命生きているじゃないですか。

 変な言い方ですけど、『負けちゃいけない』っていうか。

 できることが狭まれてきた中で、なんかもがきたいなって思ったんですよ」

 

「まだ自分にもできることがある!」。

 

年老いた父が、再び前を向くことを決意させてくれたのです。

 

かつてのような透き通る高音の声は、もう出なくなってしまった樋口さん。

 

それでも、ライブで懸命に歌う樋口さんに、多くの観客は涙し、勇気づけられています。

 

●24時間テレビで歌うことを決意させた理由 樋口了一の2人の子供の存在

 

今回24時間テレビ37のメイン会場である日本武道館で歌うことを決意させたのは、錦戸さんからの提案がきっかけだったのですが、ふたばちゃん(7歳)と一郎くん(10歳)という、樋口さんの2人のお子さんの存在もありました。

 

「多感な時期を向かえたときに、自分の親父が昔とまったく変わり果てた姿になったとしますよね。

 そうしたときに、この『手紙』のメッセージのように、たとえ肉体がどんなに変貌しようとね、その向こう側にいるお父ちゃんはまったく変わっていないんだよ。

『ここにいるぜ!』みたいな、そんなメッセージを送りたい」

 

こうして、樋口さんと関ジャニの錦戸さんは武道館のステージに立ち、ギターを持っても、一定のリズムが刻めない樋口さんのために、錦戸さんが一定のリズムを刻むことでサポートする形で「手紙」の曲が披露されることに。

 

それでも、さすがはプロのミュージシャン。

 

「手紙」の曲を歌っている間の樋口さんは、とてもパーキンソン病と闘っているとは思えない、素晴らしい歌声を聞かせてくれたのでした。

 

それに、透き通った高音のころの樋口さんの歌声が聴きたいのであれば、下にご紹介のリンクのような「ゴールデン☆ベスト 樋口了一」というタイトルのCDでも聴くことができますからね。

 

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テレビ復活!10年ぶりのチャラーン 林家こん平のキセキ

いまから10年前、2004年の「チャリティ笑点」の生放送終了後に倒れ、緊急搬送された後、多発性硬化症という難病と診断された、落語家の林家こん平さん。

 

こん平さんといえば、「笑点」の大喜利メンバー紹介の際、当時三遊亭楽太郎さん(現三遊亭圓楽)の時事ネタを交えた難しい話での紹介の後、「あたしにゃ~そんな難しいことはわかりませんけどね」から始まるあいさつ。

 

もうひとつ、地方のテレビ局の開局〇〇周年を記念した公開録画では、

 

「第二の故郷というのはありがたいもので、先ほどから友人知人が手に持ちきれないほどのお土産を持って楽屋を訪ねてきてくれております」

 

で始まり、

 

「なお、会場の皆様にお知らせがございます。

 私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕があります」

 

と言ってあいさつするのが定番で、欠かせないものとなっていましたね。

 

そういえば、こん平さんの「チャラ~ン!」は、当初「チャラ~ン」を最初に行なった後であいさつをしていたのを思い出しました。

 

そこから徐々に変わっていき、アントニオ猪木さんの「1・2・3、ダーッ!」のように、あいさつの後、会場のみなさんと一緒に「1・2・3、チャラ~ン!」をやるようになったんですね。

 

その「1・2・3、チャラ~ン!」も、いまでは「笑点」でアナウンサー大喜利が行なわれた際、自己紹介の後、「こん平さん直伝の視聴者参加型あいさつ」ということで、日テレの藤井恒久アナウンサーが続けているのでした。

 

こん平さんは、多発性硬化症の発症後、「笑点」を降板し、4ヶ月後には弟子である林家たい平さんがピンチヒッターに。

 

現在も、こん平さんの代わりとして大喜利のメンバーを務めています。

 

多発性硬化症となったこん平さんは、声帯の機能障害や手足の麻痺などがありましたが、リハビリに励み、順調に回復していったということでした。

 

しかし、昨年6月に糖尿病が悪化し、緊急入院。

 

一時は心肺停止、余命も宣告されたものの、家族に支えられながらリハビリに励んだことで、一時は動かなくなっていた右手で、大好きな卓球のラケットを持ってラリーができるまでに回復したそうです。

 

こうして、家族や弟子たちに支えられ、懸命な努力を重ねて奇跡の復活したこん平さん。

 

24時間テレビのメイン会場には、笑点の大喜利でおなじみのオレンジ色の着物姿でピースを連発していたこん平さんが、次女の咲さんとともに車椅子で登場しました。

 

チャリティ笑点の会場の中継からは、笑点の司会者である桂歌丸さんの「こんちゃーん、早く帰ってきてよ、こっちに」、こん平さんの後を継いで「笑点」に出演している林家たい平さんも、「いつでも帰ってきてください」と涙を見せながら呼びかけていました。

 

そして、かすれた声の状態のこん平さんと、咲さん、そして武道館の観客とともに「1・2・3、チャラ~ン!」と発声したのでした。

 

チャラ~ン! のときに、ぜひともこん平さんにも両手を上げてほしかったのですが、残念ながらちゃんと上げることはできず。

 

でも、自分ではこれでもめいいっぱい上げたつもりなんだよというこん平さんの思いと気持ちは、見ているこちらにも伝わってきたのでした。

 

ユーザーさんたちは、痛々しくて見ていられなかったという方が多かったようですが、私は、10年ぶりにこん平さんの元気な姿が見られてうれしく感じましたね。

 

本来ですと、この後チャリティマラソンの記事に入るところなんですが、この時点で相当長くなってしまいました。

 

したがいまして、この続きは次の記事で書くことにしますね。 (836)

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